05 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

HaruP WorkS

シンセサイザーやボーカロイドで制作したオリジナル音楽をこっそり紹介

 

世界的シンセサイザー奏者の冨田勲氏が死去 

シンセサイザー・サウンドを愛する私にとって、神にも等しいお方の一人である作曲家の冨田勲氏が5日に死去されていたことが分かりました。
御歳80歳を超えてもなお作品作りにかける情熱が衰えることなく続けられていたなか、大変残念でなりません。とても尊敬しているシンセサイザーの大家が去られてしまったことの喪失感に襲われておりますが、哀悼の意を表しつつ、シンセの神様である冨田氏について書き綴ってみたいと思います。

写真1:冨田勲氏(所属レーベルの日本コロンビアHPより転載)

tomita.jpg


●世界を魅了したトミタサウンド

冨田勲氏は、1970年代のシンセサイザーがまだ極めて珍しい時代において、シンセサイザーだけでアルバムを完成させ、しかもそのサウンドが「TOMITAサウンド」と世界中の音楽愛好家、またアーティストに賞賛されたという、まさにシンセ界の先駆者かつレジェンドのアーティストです。

今では、パソコンのなかで自由自在に音を合成できる時代になりましたが、1970年代の冨田氏が世に送り出し米国のビルボード・クラシカル・チャートで1位となったファーストアルバム「月の光」に使ったシンセは、ケーブルを蜘蛛の巣のように配線しながら音作りをし音色を記録することも出来ない大型の箪笥のようなシンセサイザーです。(参考:下の写真2 モジュラーシンセサイザーMOOGⅢ)

この巨大なシンセは、1音づつの単音しか発音できない代物で、それを制御する自動演奏装置(シーケンサー)も、今のようにほぼ無制限の演奏データなどは記録できず、せいぜい32個程度の音符分の記録と演奏しかできません。

そのような当時のシンセと機材を使ってアナログテープレコーダーに何度もシンセの単音の1音づつを重ねながら多重録音し気の遠くなるような制作作業を通じて、幻想的でいて壮大、幽玄でいて美麗な多彩かつ重厚なサウンドを創り出してきたのです。今聴いてみても、そのサウンドは色褪せることなく、いやむしろ様々なシンセサウンドが溢れている今だからこそ、その音色づくりのオリジナリティの素晴らしさを再認識させられます。

そのサウンドの出来栄えが当時どれほどのものだったかという逸話が残っていますが、冨田氏が日本で初めて個人所有したモーグシンセサイザーの開発者の故モーグ博士が冨田氏のアルバムを聴いて、自分が開発したシンセでどうやってこんなサウンドを造ったんだ?と驚愕したとのこと。音色によっては今のシンセでも再現が難しいサウンドがありますので、当時なら尚更驚いたことでしょう。

写真2:タワーレコードのポスター(2014年)で冨田氏が伝説の愛機MOOGⅢと一緒に

f52f05b020b1df.jpg

写真3:私が所有している冨田氏のサウンドワークを解説したレコードアルバムのジャケ写真

DSCN1709up用


●シンセを使った音楽制作の礎

そして、今音楽において、当たり前となったシンセサイザーやレコーディング機材を駆使したDTM的な制作アプローチは、冨田氏がその礎を築いたと言っても過言ではありません。

日本を代表するテクノポップグループであるYMOのテクノサウンドを支えた松竹秀樹氏もお弟子さんの一人でもあり、小室哲哉氏も冨田氏のサウンドを聴いて衝撃を受け、シンセによる音楽に志が向かったことは有名です。
また海外のアーティストらにもシンセによる曲作りに多大な影響を与えつづけ、マイケルジャクソン、スティービーワンダーをはじめとする数々のビッグアーティストやスタジオエンジニアらがシンセを使った音楽制作を積極的に進めるきっかけとなりました。


●作曲家としても大活躍

冨田氏はシンセサイザーの先駆者として有名ですが、テレビ放送の黎明期より実に多くの作曲でも活躍してきました。

NHK大河ドラマから、数々のTV&アニメ番組のオープニング音楽(新日本紀行、ジャングル大帝、リボンの騎士、きょうの料理など)、映画音楽、テーマパーク(ディズニーシー)、合唱曲等々というように実に多くの楽曲を作られています。
氏の名前を知らなくとも、どなたでも耳にしたことのある曲が多数存在しています。

そして、どれも耳に残る名曲揃い。それらは、日本的なものもあれば、躍動的でもあると思ったら、とても静かで幽玄的でもあったり。ハーモニーが色彩溢れて立体的であり、本当に素晴らしい珠玉の名曲の数々です。


●常に新しい表現に挑戦し続けた先駆者かつ開拓者

冨田氏は数々の名声と偉業に胡坐をかくことなく、常に新しいことにチャレンジし続けたクリエーターの鑑でもあります。
サブカルとしては有名ではあるものの、音楽としては際物とみられていた初音ミクを使い、フルオーケストラとの世界初共演「イーハトーヴ交響曲」を実現してしまいました。

写真4:「イーハトーヴ交響曲」コンサートのポスター

イーハトーヴ

そして、今年の11月には日本のロケットの父と言われる糸川博士が実現を夢見ていた、バレエ公演でホログラフィーのバレリーナとの共演を実現すべく、再び初音ミクをフィーチャーした世界初の試みとなる「ドクター・コッペリウス」の上演に向けて鋭意制作中であったのです。

冨田氏は、そのプロジェクトの打ち合わせを終えた5日の昼、自宅で倒れてから緊急搬送されましたが、帰らぬ人となってしまいました。
まさに生涯、死の間際まで常に先駆者であったクリエーターかつアーティストの冨田勲氏。
残念でならないのが、せめて11月の上演まであと少し天寿が与えられたのであればと、惜しまれてなりません。

冨田勲氏の偉業を讃えつつ、ご冥福をお祈り申し上げます。

<参考リンク>
●シンセサイザー界の巨匠「冨田勲」師考
●シンセ界の巨匠「冨田勲」と初音ミクとの世界初演!!!
●冨田勲と初音ミク~時空を超えたアーティストの饗宴~
●シンセ界の巨匠「冨田勲」と「初音ミク」のコラボ実現の秘密とは!
●初音ミクがアーティストとして登場!?YahooのPR広告企画が面白そう
スポンサーサイト

Category: シンセサイザー

Thread: DTM、宅録、ミックス、レコーディング、機材

Janre: 音楽

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://gotorin.blog76.fc2.com/tb.php/289-a8deb828
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)