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HaruP WorkS

シンセサイザーやボーカロイドで制作したオリジナル音楽をこっそり紹介

 

忙しすぎて花見することもかなわず、過ぎ去りし日々 

暇よりましかもしれませんが、やるしかないという思いで目の前の仕事を処理する日々の忙しさは、まさに心亡くすで、巡る季節を感じる余裕すらないまま日々が過ぎ去っておりました・

今年は花見には行けませんでした。
仕事に行って、遅い時間に帰宅して飯食って風呂入って寝て起きて、また仕事のローテーションで回転している日々だけの春でした。

考えてみると、一生のうち満開の桜をみれる回数って、長生きをしたとしても僅かな回数なんですよねぇ。
しかも天候に恵まれた中で最高のシチュエーションということに限定すれば、少ないものでしょう。

そう考えると、忙しくしているうちに、心を亡くして貴重な体験を逸していることは、存外に多い気がしてなりません。

人はどこからきて何のために生きてるのか・・?

忙しさがちょっとだけ小休止だけで、このあとも怒涛のような忙しさがあることを考えると、この空虚なままの自分に苛まされそうです。

生命溢れる春
でも儚い桜の花

だからこそ美しいんでしょうねぇ

MMDで制作したダンス動画「極楽浄土」の1シーン。妖艶に咲き誇る満開の夜桜の雰囲気がお気に入りのシーンのひとつです

極楽浄土イメージ 2

創作を再開できる心と体の余裕がない日々でちょっとだけ徒然なるままに

<参考リンク>
●レゾンデートル(存在の理由)
●有限の時間と無限の時空
●死の起源(その1)
●死の起源(その2)
●限られた時間のなかで創作をいかに行うことができるか
●[創作物]と[農作物]
●桜花と音楽のアナロジー
●とある少女の音楽制作
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レゾンデートル(存在の理由) 

忙しく過ごしていると、ああ忙しい自分は充実しているというふうに考えられる場合と、ああ自分は何のために生きてるんだ?という二つの思いの間を揺れ動くことがあります。

●使命:a mission
使命感にあふれる取り組みをしている人は、困難を前にしても生が充実していると感じるでしょう。

●使役:employment
ところが、やらされている思いを感じるのであれば、それは徒労を感じることが多く、虚無感に苛まされることが多いでしょう。


●ミクさんは、ミクさんとしての存在感がはんぱない!

Tda式 袖なしミク フフフ 

では、この二つの違いはどんな状況からくるのでしょうか?

それは、意思の問題でしょうか?

環境の問題でしょうか?

個人と社会との関わり方の問題なのでしょうか?

人は何によって生かされ、何をすべきなのでしょうか?

個人の充実と公との回路の理想的な平衡状態にこそ、問いに対する答えがあるのかもしれません。


現実存在
レゾンデートル
生きる意味
生み出す価値
真善美

儚い人生
泡沫の世
栄枯盛衰

何者であることより
何を為したか

風の吹くままに


<参考リンク>
●有限の時間と無限の時空
●限られた時間のなかで創作をいかに行うことができるか
●哲学フレーム問題 額縁の外をどう認識できるか?
●ボーカロイドとアンドロイド
●AIと愛?
●ボーカロイドとは何者なのか?
●冨田勲と初音ミク~時空を超えたアーティストの饗宴~
●シンセ界の巨匠「冨田勲」と「初音ミク」のコラボ実現の秘密とは!
●妖怪とシンセサイザー
●シンセの「音」って何でしょうか?

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忙しい時には「こころなくす」 

1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると、言われるように、年初の3か月はあっという間に過ぎ去るものです。

今年は特に私にとっては仕事が忙しく、創作が全く手つかずで、日々帰宅しては寝て疲れをとっては出勤のループです・・

まぁ仕事は最大の暇つぶしと言われるように、無趣味な状況では社会に役立っている仕事は最大の貢献であると思うので、ごく私的な創作遊びに比べれば、こうやって仕事で忙しいのは良いことであるとも思います。

時間を司る天使のミクさん

Tda MIKU Angel3


●そもそも「時間」とは?

で、ふと風呂に浸かりながらあっという間に終わった1日を振り返ると、いったい「時間」って何だろうなぁと?考えてしまいます。

私が知っているだけで、「時間」については、以下のとおりたくさんあります。

・時間も空間と同じく、絶対的なものではなく、相対的に揺らぎ変形してる
・時間はそもそも存在しておらず、人間の森羅万象の認識によって存在するようになった
・未来も過去同様に全て決定しており、現在は未来が影響した姿である
・時間は、エントロピー(科学的には熱の状態、哲学的には無秩序の度合い)のプロセス
・時間には、宇宙の開闢から終焉まで全ての可能性としてのパーツが備わっている
・時間は不可逆であり過去に実体が行くことはできないが、情報だけは過去に伝えらる可能性がある
・量子論的な超極小世界では、時間の概念は成り立たず、マクロの領域で初めて変化として分かるもの


etc・・

というような具合に、「時間」という存在は、本当摩訶不思議なものです。


●「時間」を考える[時間]

というように、「時間」について考える[時間]というのも、何とも不思議な感覚を覚え、日常における非日常の感覚を味わえたりします。

「時間」について、これからも[時間]がある時に色々と掘り下げたいと思います^^

<参考リンク>
●有限の時間と無限の時空
●限られた時間のなかで創作をいかに行うことができるか

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前世は有るのか無いのか(その1) 

忙しいときにまとまった制作時間が取れないけれど、ふと思い出すことを今回はブログに書き留めておきたいと思います。

MMDで女神っぽい何か??

でるたんポリ子式神命姫神・ヴァルキリーローズ  Up


●前世とは

前世とは、一般的には今の生を受ける前に生きた過去の世のことを言いますが、仏教をはじめ多くの宗教でこの概念はあるようです。
いわゆる[転生輪廻]とセットで語られることが多いようです。

宗教以外にも、多くの創作物で前世の概念をモチーフにした作品がありますので、多くを説明する必要はないかもしれないキーワードです。

そこで、前世を考えるにあたり、もしあるとしたらどんな状態なのかいくつか考えていることを書き出してみました。

 「連続的に繋がっている世界」
  世界線が連続的に繋がっている状況で転生を繰り返している状態です。簡単に言うと、自分が生まれる前のずーと昔にあった時代に生きていたということです。つまり、例え話でいうと今の生の前の世には、縄文時代の古代人だったというような自分です。

  これには以下バリエーションがあるようです。
  ・人間の前にも人間
    →生きていた場所はそれぞれ
  ・人間の前は別の生き物
    →動物なのか、はたまた昆虫なのか・・

  「非連続な世界」
  世界線が複数ある状況でその線上をジャンプしながら転生している状態です。この世ではない異世界に生きている状態です。l
  
  これにも以下のようなバリエーションがあるかも。
  ・物理法則が全く異なる世界(例:魔法が普通に存在)
  ・それぞれの世界から影響は受けている
  ・何に転生するかは、その世界の法則により異なる

つまり、前世と一口に言っても、空想するだけで全く異なる状態が描けるのです。

●前世はやはり無いかも

先ほどは、もし前世があるとしてという想像でした。ところが無いかもしれないということを考えてみたいと思います。

以下は父とのふとした会話です。

私の父は癌を患いましたが、幸いにも完治に近い形にまでなりました。
癌という死を意識しないとならない闘病を過ごしたことから、死に対して随分と考えたようで、ふと「あの世って無いだろうなぁ」と言ったことがあります。

以下、問答風の応酬です。

父:「あの世って無いだろうなぁ~」

私:「無いといえば無いかもしれない。でも、自分の体は最期には全て分解されて、世界に還元されて、また別の命を支える元素となる」

父:「それなら、わしのずーと昔は何だったんだろうなぁ?記憶が無いから分からんし」

私:「そら記憶はないよ。だって元素レベルでは別々に存在していたものが、たまたま生命として今集合しているだけだし。なので、おれ自身の体の元素は古に存在したといわれるクレオパトラの一部だったものが原子レベルでは一つでも私の体に入っている可能性があってもおかしくない」

父:「なら前世もあの世も無いんだ」

私:「物質の循環だけという意味においてはあるが、魂のレベルではどうなのかね・・」

父:「そもそも、あの世に行って帰って来た人が一人もおらん。お釈迦さまだって涅槃の時があっても、入滅後にこの世に帰って来たという話は聞いたことがない。どんな坊さんの説教を聞いても、あの世にいって戻って来た人の話を聞いたことがない。つまりあの世って無いに違いないと思うしかない。自分は死んだら完全な無になるんだろうな。」

私:「自分が生まれる前は、自分という存在は無いわけだから、確かに無に還るんだろうかねぇ・・・??」

この何気ない会話で、ふと想いを強くしたのが、物質自体は常に輪廻転生を連続的に繋がっている世界線のなかで繰り返していることです。
そういった意味においては、確かに凄まじい数の生命と物質の数限りない数の転生と輪廻が繰り返されているといえます。


●1回限りの自分という存在

ところが、自分という存在は、どうやらこの世には一度しか存在出来ない(確定ではない)

※このあたり、前世の記憶をもった人が何故いるのかという研究もあるようで、真実は不明ではありまが、実証できていない限り、可能性としては、無いということも多くの時代を生きた人の経験則と照らし合わせて自然な結論と考えられます。(真偽は不明であることは変わりありませんが・・

というわけで、忙しい合間ではここまでの考察で爆睡手前なので、続きは後日にて^^;

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あけましておめでとうございます! 

旧年中は色々とありましたが、なにはともあれ、新しい年を迎えられたこと感謝です。

思えば、今まで様々なことに挑戦しながら、時には挫折しながらも進んでこれたのは、自分だけの力ではなく様々なご縁のお蔭です。

そして、ご縁とはネットワークのこと。
個である自分と世界が結ばれる結節点。

そのご縁を大切に、心あらたに歩むこと。
そしてその決心こそが、年の初めの日に集約されるからこそ、一年の計は元旦にありなのです。

●『一年の計は元旦にあり』

その言葉をしっかりと心に刻み、また歩んでいきたいと思います。

振り返るに、音楽一筋だった自分が、初音ミクの広がりのなかでCG(MMDを使った)に挑戦し、そして挫折してまた音楽へと気持ちが向かう。
そんな変幻自在なる自分がまた面白い。

皆様にとっても幸多く、干支の鳥の如く飛翔の年となりますことを祈願しております。

本年もよろしくお願いいたします。

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