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HaruP's WorkS

シンセサイザーやボーカロイドで制作したオリジナル音楽をひっそりと紹介

 

音楽の不思議(数学的親和性) 

私の音楽制作のスタイルは、いわゆる「打ち込み」系といわれるもので、生の楽器演奏を録音したものではありません。

パソコンにインストールされ音楽制作に必要な様々な機能を統合したDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)で、シンセサイザー(ハード&ソフトVer)を演奏させたものを録音しながら、各種調整し曲に仕上げます。

DAWで制作する音楽においても、生演奏と全く同様に音楽の三大要素であるところの「メロディー(旋律)」「ハーモニー(和音)」「リズム(律動)」が当然ながら重要となります。

これらの要素をそれぞれの演奏に特化した各種シンセサイザー音源(場合によっては録音された楽器フレーズ等)の演奏を多重に組合せることで曲に仕上げていますが、そのプロセスを経るほど、音楽は実に論理的かつ数学的ともいえるものであると実感しております。

このあたりを軽く解説したのが、過去の以下のブログです。

●楽曲制作について(シンセを駆使した)


●芸術分野で極めて数学的な音楽の世界

たまたまNHKのテレビ番組で、宮崎駿監督作品で著名な作曲家である久石譲氏の特集が流れていて(途中から視聴)、インタビューで以下のようなご本人のコメントに感銘を受けました。
(注:メモを取っていませんでしたので、実際のコメントではありません。うるおぼえのニュアンスでの記述です)

 音楽は数学と親和性が高い芸術です。
 ドの1オクターブ上が同じドで、その範囲の音階は数学的に扱うことができて、さらに人の心を動かす力がある不思議な魅力があります。


確かに、久石氏の発言のとおり、1オクターブという音階は、周波数の2倍で表すことが出来、そしてその音階は規則性のある音律によって、パターン化することができます。

先にご紹介した音楽の第1要素である「メロディー(旋律)」は、実に規則正しく数学的に記述できます。

そして、その旋律を複数組み合わせた和声こそが、第2要素である「ハーモニー(和音)」で、ギターでは必須であるコードとしてパターン化され記述可能です。

さらに、第3要素の「リズム(律動)」も、タイミングと長さを規則的に分割した拍数で記述可能です。

この3つの要素は、とても規則性が高く、かつ数学的に処理ができるものばかりです。
そういったことから、久石氏の発言のとおりとても数学と親和性の高い芸術であるということに得心しております。


●数学的に解説される音律と和声

そんな所感をもったところ、何故か不可思議なシンクロニシティ(共時性:意味のある偶然の一致)が引き起こされるものです。
NHKで久石氏の特集を観たあと、これまた、その日にたまたまネット上で、以下の動画に出会いました。

プログラム(Python)によって、音階生成のプロセスを解説した動画で大変面白い内容でした。
doremi!.jpg



この動画で、あらためて面白いなぁと思うのが、1オクターブのなかで構成された音律の組み合わせであるところの和音において、楽しそうで明るい調子となるメジャーコード、切なく哀しい調子となるマイナーコードを共通の感覚として人が認知するところです。しかも受ける音感の差は一定の法則に基づき数字でも表すことができるという規則性をもちます。

音楽によってなぜ多くの人に共通の情動が引き起こされるのか?

楽器演奏ができず楽譜も読めない自分が無謀にも様々な説を参照し自身の音楽制作を通じて総合的に考察しながら、今後もご紹介できればと思います。

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Category: 音楽考

Thread: DTM、宅録、ミックス、レコーディング、機材

Janre: 音楽

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「運も実力のうち」能力主義は正義か? 

本を買っては積読している日々が続くなか、ふと何気なく積まれた本の背表紙をみては何故この本を買ったのかという在りし日の思考と今感じていることとリンクする瞬間があって、実体ある偶然の出会いが電子書籍にはない面白いところと思います。

今回、ふと目に入ってタイトルが気になったのが、以下の書籍です。


●実力も運のうち 能力主義は正義か? マイケル・サンデル (著)

書籍リンク-->実力も運のうち 能力主義は正義か? マイケル・サンデル (著)

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まだ通読できていないことから書評を書けませんが、タイトルから感じた点として、社会における成功者は能力だけではなく運も大きいということ、自分自身が感じてきた卑近な例でもたくさんみてきました。

確かに成功者は、その分野で抜きんでた才能があったことによるものは確かです。
そして多くが努力もしている。

でも、その二つが揃っていたとしても大成するには、大きなくくりでは「時代性」、「個々の事情」においては、両親から受け継いだ遺伝子の組み合わせ、両親が施した育成環境、タイミングや運の要素のほうが非常に大きいと思っています。

今や能力主義全盛となっていますが、その人の能力だけで成功がもたらされているわけではなく、上記に述べた様々な要因によって、たまたま成功者となっているのに過ぎない点に留意すべきと考えます。

従って、以下のよう能力主義・功績主義バリバリの言説には話半分で丁度良いのでしょう。
 ・メリトクラシー(個人の努力や実績次第で、社会的地位を向上させ得るとする概念。要はがんばればみんなできる主義)
 ・自分が恵まれてるのは、自分の実力と努力のおかげ
 ・恵まれていない、成功しなかった、貧困等の結果は自己責任


ところで、「運も実力のうち」という諺とセットで思い出したのが、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という諺です。

この諺は最近あまり聞かれなくなりましたが、社会的な成功者ほど、偉ぶるのではなくますます謙虚になる必要があることを戒めた言葉です。

今の自分があるのは、自分の実力だけでなく、生まれ持った遺伝的要素も含んだ自分を取り巻く様々な要素によって成されてきた結果の連鎖であることを忘れないようにし、「運を天に任す」だけではなく、「人事を尽くして天命を待つ」との間に人生があることに思いを馳せております。

さて、積読のままでなく、何とか紹介した本を読むようにしないと・・

Category: 哲学

Thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性

Janre: 心と身体

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人は変わらない(簡単には・・ 

どうしようもない現実ですが、人を変えることは難しいものだと今更ながら思うところです。

家族、職場関係、ご近所づきあい等、あらゆる人間関係で周りが変わるわけないのに、そのことに何でそうなんだ?もっとこうすべきだろ?とかいちいち気になって腹が立っても、上記のことを思い出し諦めるしかないなぁと感じます。

人が変わり難しと同様に「自分が変わる」ことも簡単ではありません。
ときどき「変わらない自分が悪い」という自己啓発的な言説もありますが、これは一歩間違えれば、自己承認が低い人は、さらに自分を追い込むことになることを危惧します。

むしろ人間の本質など簡単には変わらないところが人間の業みたいなものとも思います。

ならば、簡単に変わらない人同士で最も手っ取り早いソリューションとは何かと考えると、権力を手中することに尽きるなぁと考えます。

権力を持てば変わらない他人を従わせることはできる。
権力志向の人は、とにかくそのパワーが欲しい。

生き辛く無く過ごすには、変わらない人間さえも変えてしまうような魔法(実際には力で服従させているだけですが)として他者への強制力である「権力」を手中にするのが手っ取り早いことは火を見るよりも明らかなことで、故に世界は権力闘争に溢れています。
人間の歴史を俯瞰するに、未来永劫変わることはないでしょう。


●人間関係だけでなく、社会も理不尽がいっぱではあるが

アニメ攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXという作品があります。

主人公の公安9課の草薙素子が追い詰めたテロリストに言い放った以下の台詞があります。


世の中に不満があるなら自分を変えろ。

それが嫌なら耳と目を閉じ、 口をつぐんで孤独に暮らせ。

それも嫌なら・・・




このシーンのプリント・スクリーン

攻殻機動隊 素子

名作の誉れ高き「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」第1話



世の中の数々の不満があれど、それを変える力が自身にないのであれば、変えようとした行動がさらに理不尽を拡大する可能性(このシーンであればテロ活動)があります。
だからこそ、世に不満があるほど自分を変える必要を省みよという意味なのかもしれません。(このシーンであればテロを起こさず、不満に対しては法を犯さぬ手段をとることが出来る自分へと変える)

こういった意味では世に不満があれど、自分自身の行動、そして発言においては都度正しさが問われるわけで、不満を解消できないことを自分以外に求めすぎると危うくなる可能性に留意しなければならないのでしょう。


●人間関係には、方便としての諦観

アニメ作品を引用に極端な例を出してみましたが、圧倒的多数は他人を動かすような権力を持たない側となります。日々において変わらない人間の様々な悪癖を嫌というほど目にして自分に降りかかってきても、見て見ぬふりをして耳を塞ぎ口をとじておくしかないのでしょうか?

特に人間関係を簡単にはリセットできない状況においては、ひたすら冬の寒さを耐えるように生きていくのが関の山となるのでしょうか。(世捨て人になって一切の人間関係を絶っても生きるのがよい又はできるひとならよいのでしょうが)

リセットできない関係が続く限りにおいて、せめてもの精神衛生上、良い状態を保つかが肝要と思うようにしています。

ここで重要なのが「諦観」という観念かもしれません。
諦観とは、悟りの境地に至り何者にも動じない超絶たる心境のことですが、誰もがこのような悟りを開けるわけがありません。

むしろ言葉の意味としては間違って流布している「あきらめる」ことを敢えて取り入れ、自分のできる為すべきことを為して人生を清々しくいきていくような方便が私のような凡夫には残されているような気がします。

そして何度も参照すべきことが、このブログでもよく引き合いに出している「真善美」「価値の序列」の観点です。
この視点をなくしては、あきらめるだけで空虚な人生になってしまうことでしょう。

ニヒリズムの空虚さで刹那的に過ごすのではなく、せめてもの生きるうえでの抵抗としての気力を保つ手段として、「方便としての諦観」をどう実践できるかに重きを置きたいと思うようになりました。

Category: ライフ

Thread: 日記

Janre: 日記

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プライベート・スタジオのリニューアルへ(挫折しつつも) 

本来の当ブログのメイン・テーマであるところの音楽制作からしばらく離れているのは、何というか本当に愚かな理由なので書くのも憚れますが、制作再開を目指すにあたり省みるべき負の期間の教訓として残しておくこととします。


●DAW専用デスクトップPCを新調~プライベートスタジオ大改装計画

コロナ禍がはじまる直前の2019年に、思い切って高性能なPCを購入しようと企てました。

というのも、音楽制作専用のデスクトップPCは、すでに稼働してから、7年以上も経っており、いつ不具合が起きてもおかしくない経年となっていました。

昔は自作PCもつくりはしましたが、動作に不具合が起きたとき全て自己責任のもとで解決するのが大変だったので、手厚いサポートのことも考え、某世界的メーカーのカスタム可能なBTOで組み上げ購入しました。特に従前であればあまり重視しなかったグラフィックボード(ゲームや画像処理をしないため)も、下手の横好きで始めたMMD動画の制作マスター機材として併用できるかもと、ゲーミングPC並みの性能のものにしました。

せっかく新調したから、思い切ってプライベートスタジオのレイアウトをリニューアルしようと欲が出てしまい着手したところ、多数セットアップした機材をばらして大掃除するだけで一苦労。

フル勤務の仕事の合間で行っていましたので、それだけで何日もかかってしまいました。

そして、再レイアウトするにあたり、せっかくなのでDAW専用デスクやラックも新調したくなり、また古くなったケーブルも気になったことで、新品に入れ替えようと、これまた購入選定にそれなりに時間がかかりました。

そして、重いハードウエアシンセサイザーを上げたり下げたり取り外したりする作業が、普段から鍛えていない身体にさわったようで、ぎっくり腰になってしまい、しばらく作業は放置せざるを得ない状況に・・

そんなこんなで、せっかく購入したPCは未開封のまま、1年が過ぎようとしました。

最近のリニューアル途中のプライベート・スタジオ風景
ディスプレイの前に寝そべっているのは、「楽園追放」での大好きな主人公であるアンジェラ・バルザックさんのフィギュア<楽園追放 -Expelled from Paradise- アンジェラ・バルザック 1/4スケール>

studio リニューアル途中 2

やっぱ光るとかっこいい!(自己満足の世界

studio リニューアル途中 2gl



●あっけなく機能停止した最新鋭PC

新調したDAW専用デスク、ラックに機材をセットアップしなおし、大幅なレイアウト変更の目途がやっとつき、これで大枚をはたいて購入した最新鋭PCをセットしてやっとこさ起動しました。

最新鋭機だけあって、動作が圧倒的に速い印象をもちベンチマークテストでは、今までのPCではみたことがないような数値が!
ローンを組んでまで奮発した甲斐がありました。

ただ機材の物理的なセットアップのし直しも大変なのですが、新たに設置した機材のソフトウエア上でのセットアップは新しいPC上でのDAW環境の再構築も併せ、これまた膨大な作業が待っています。

それを想定してしまうとなかなかやる気が起きず、帰宅後の寝食だけの日々が続いてしまうと、そのまま放置状態となってしまいました。

ある日、せめてDAWだけでもセットアップできればと思い立ち、電源を入れたところ、OSが起動すらせず、画面にエラーメッセージとともにエラーコードが・・・

えええ!?
まだ数回しか起動したことが無いのに、致命的な不具合が??


BIOSを起動し、障害箇所の診断プログラムを起動したところ、要サポートのメッセージが・・
BIOSのリセット、CMOSクリアなど、自分が知っている対処を試してみましたが起動不可のまま。

自己解決が出来ないことから、ここは選んだ最大の理由のひとつであるサポートを受けようと、電話でエラーコードを伝えたところ、サポート担当もなすすべがなかったようで、即修理扱いの回答に。
ここから問題なのですが、たったの数回しか起動していなくとも、保証期間の1年が過ぎていることから有償修理となり、しかも想定される修理代が5万円以上!とのことに・・

確かに本体が到着して1年近く放置していたとはいえ、たったの数回起動(実稼働時間では1時間ほど)しただけで深刻な不具合が発生した状況から、ほぼ初期不良であったと想定され保証期間内であれば新品と交換となったことでしょう。

しかし、メーカー保証期間はあくまでも1年という期限のなかで放置してしまったのが悪いのは自分です。

ローンが残る高額機材が即壊れ、そのあとの自分の行動のせいとはいえ高額の修理代がさらにかかるというショックから、しばらくの間故障した新品のPCを視界から外し、そのまま忘れるように放置してしまうことになりました。


●ローンの残債が無くなり、あくまでも未来のために

ある日、通帳の引き落としをみると購入した例の故障PCのローンが終わっていたことが分かりました。

ああ、そんなに時間が経ったのだと。
光陰矢の如しです。

その間、結局せっかりリニューアルしたスタジオは、基幹となるDAW環境が構築できず音楽制作もストップしたまま、ただの機材展示と化しており、気になったシンセの電源を入れては動作を確認するだけの日々となりました。(その間に壊れているのを発見し修理不能であろう古い製品であってさらに凹んだり)

ふと、なんだか虚しい思いが去就するとともに、これではいかんなぁと思い立つ日がやってきました。

ただ2019年で最新鋭のスペックでも、すでに5年近く経過したPCを高額で修理をするのは気が引けます。そこで、どうせ5万円以上も修理に使うぐらなら、現在の最新PCに投資をしたほうがマシな使い方だと、痛い勉強代として割り切り、新しいPCを新調することを思い立ちました。

目標としては、サウンドがとてもリッチでクオリティが高いが非常に動作が重いソフトシンセOmnisphereがさくさく動かせて、デスクトップ型は冷却ファンがうるさいので静音化されたものをと思います。
ついでに、数世代前のノートPCで作り続けているMMD動画においてストレスフルとなっているエフェクト処理が少しでも軽くなるようにできればと。

というわけで、しばらくストップしていた音楽制作の再始動に向けて進みたいと思います。

Category: シンセサイザー

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魂の芸術家 岡本太郎 

大阪万博の開催にあたり、その莫大な開催経費の実態と能登大震災の復興課題もからみ、開催に懐疑的な意見を多く聞く昨今です。

開催の是非はともかくも、1970年に開催された日本万国博覧会のシンボリックなレガシーといえば、「太陽の塔」であることは間違いありません。

その制作者こそ、奇才の芸術家である岡本太郎であり、代表作として最も知られている作品と思われます。

「太陽の塔」の制作秘話も、これだけで何篇ものブログが書けるほど壮大な物語ではあるのですが、今回は制作者である岡本太郎について、少し触れたいと思います。

太陽の塔(太陽の塔オフィシャルサイトより)

太陽の塔


●岡本太郎の言葉に生きる力を与えられる日々

昨今の世界と日本において、精神的に落ち込む出来事が多すぎます。
また個人的にも、人間関係、将来の不安要素も合わさり、とても生き辛さを感じる日々です。

気分が落ち込んで苛まれるときは、普段必ず開くパソコンの傍らに岡本太郎が残したとされる言葉を編纂した「強く生きる言葉」を手にとって、ランダムにページを開くようにしています。

この本の構成は、太郎の養女で常に制作に立ち会ったとされる岡本敏子氏によるもので、太郎の日常のつぶやきを漏らさまいと傍らで記録に残してきたメモを再構成した著作です。

敏子氏の「あとがき」の一文を引用します。

「通して読まなくても、どこから読みはじめて頂いてもいい。パッとひろげたそのページをその日のお告げだと思って、運命的な出会いを試してみるのもいいかもしれない。」


その言葉どおり、通して読んだあとで、過日パッとひらいてみると、太郎の言葉がまるでお告げのように力強く心に響き、まさに魂が奮い立たせられ、救済と同時に生きる力を与えられた気持ちとなるのです。


●生命の実相と言霊

生命の実相とは物理化学現象的存在だけではなく、太郎が芸術で表現しようとした「魂」が宿る力強い命そのものであると思うところです

その魂が、太郎の残したメッセージで力を与えられるということに、時空を超えた「縁」と命あることの「妙」をまた感じます。

ちなみに、ふと今日ブログを書こうと思い立った時に開いたページの言葉を紹介したいと思います。

     自分

 今までの自分なんか、蹴トバシてやる。

 そのつもりで、ちょうどいい。

 一番大切なのは、自分自身にうち勝って、

 自分の生きがいを貫くこと、

 これが一番美しい。


今年のような不穏な年明けにあって、ふと過去の嫌なことを思い出し、それに苛まれるような感じがしておりましたところ、この太郎の言葉にハッとされました。

言葉で人は殺されたり、一方、生きる力を与えられるもの。

まさに「言霊」なのでしょう。

強く生きる言葉(Amazonサイトのリンク先)


Category: ライフ

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